2月から新しい科(内科系)での研修が始まり、結構忙しくて全くパソコンに触れる余裕がないまま時間が過ぎ、気がつけば1週間ぶりの更新になってしまいました。
3年目以降もきっとこうなるんだろうなと思うのですが、無理して途中でダメになるよりも継続することが大事ですので焦らずやっていこうかと思ってます。
ちなみにこの記事を書き始めたのが2月6日で医師国家試験日となっています。
あれから2年経ったんですね。
どうでしょう、今初期研修医の皆さんはあれから成長したでしょうか。
働きはするけども医学の勉強からは遠ざかり、医学の知識は医師国家試験日がピークだったっていう人もきっといるでしょう。
今回はそんな医師の成長にも関するお話。
ローテーション制度とジェネラリスト
僕は2019年4月から初期研修が開始となっているんですが、1つ下の代にあたる2020年4月から初期研修が始まった人たちは僕よりもローテーションの縛りが強くなり、救急・麻酔科・精神科・小児科・産婦人科・外科・内科を全てローテートすることになっています(確か)。
僕の代まではそこまでローテートの縛りがなかったので、研修病院によっては、例えば内科志望なら救急と内科のみをローテートするだけでも研修を修了することができました(これも確か)。
一時期緩くなったローテーション制度をまたキツくしたのは、各科が専門的になりすぎたため、もっとジェネラリストが欲しいという厚生労働省の意思表示でしょう。
噂レベルですが、内科専門医も今後ローテーションが必須になるって話を聞いたことがあります。噂が本当なら、タイミングから考えて僕の1つ下の代(2020年初期研修開始)から始まる可能性もありますね。
ローテーションに関しては意見はさまざまあると思います。僕個人の意見としてはローテーションそれ自体には “基本的には好意的” です。
基本的に好意的なんですが、それには “きちんと研修できるなら” という条件があります。これに関しては次で述べます。
“好意的” という言葉を使って “賛成” と言わないのも理由があります。仮に今後内科専門医をジェネラリスト欲しさからローテーション制を必須にするとした場合、それには賛成しないからです。
そもそもジェネラリストは別にローテーションをしたから成れるわけではありません。常日頃からその気持ちを持ち続け自分で成長して掴み取っていくしかないと思います。
ローテーション制はジェネラリストになるための手段の1つでしかありません。
特にジェネラリストになりたいと思っていない人がローテーションしたとしても、全くの無意味だとは言いませんが多くの時間を浪費するだけで終わるでしょう。
“ジェネラリストが欲しいから” 内科専門医制度にローテーション制を導入するのは、形だけを取り繕っているようにしか感じません。
初期研修医がローテーションする意味と日本での現実
先に主に「内科専門医に対する」ローテーション研修に対する僕の意見を述べました。ちょっと、ややこしいのですが、ローテーション研修には色々な段階があると考えてます。
まずは医学生の5年生から始まる臨床実習でのローテーションですね。これに関しては、将来専攻する科の選択肢を増やすためのものだと思っています。
個人的に1-2週間程度しか実習しない臨床実習で得られる医学的なことなんて高が知れていると考えています。そんなことよりも、「将来自分がその科を選んだ際にどういったことをやることになるんだろう」ということを教えてあげる方が重要だと思います。
世の中にはたくさんの職業があります。例えば、親が医者だから何も考えず自分も医者になるってのも悪くはないですが、他の職業が色々あることを知った上で、それでもなお医者になることを選択するのとは大きな差があります。
医学生の臨床実習も似たようなもので、医師の中にもたくさんの科が存在します。それらの実際の現場を見せて選択肢を増やしてあげることが大事なんじゃないかと思うのです。なので、その科の最先端のことを見せてあげる、手技をたくさん見せてあげる、というのも大切なことだと思います。
順番は前後しますが、次に内科専門医でのローテーション研修について。これは基本的に志望科を選択した後のことですので、ジェネラリストを養成するためでしょう。そのためにローテーションが適しているかどうかは先に述べた通りです。
最後に初期研修でのローテーション研修。このブログを読まれている方のボリュームゾーンでしょう。僕は初期研修医が各科でローテーションする時の目標は “適切にコンサルト” できるようになることだと思っています。
適切にコンサルトするためには、その科の緊急疾患は何かや、その科のcommon diseasesを自分はどこまで診ることができるのか、といった限界を知らなけらばなりません。common diseaseで自分で治療できると思っていても、経過中に非典型的な症状をきたしているのなら、「おや?」と感じコンサルトに回さなければならないことだってあります。
先程、ローテーションそれ自体には “基本的には好意的” だが、ただし “きちんと研修できるなら” と言いました。
僕は正直に言って日本の研修教育はイマイチだと思っています。
研修している科でコンサルトを受けた際、上の先生が「こんぐらい自分で診ろよ」とか「情報が全然なってない。ちゃんとコンサルトしろよ。」などと言っているのをよく耳にします。
僕はこの言葉に日本の研修教育の現場が現れていると感じてしまいます。
本来それをローテートしている研修医に教育するためにあるのがローテーションだと思うのです。そういった不満を言うのは別に構いませんが、「そうならないようにするためにはどういった教育をすればいいか」へ繋げなくてはいけないはずです。
上級医は研修医をきちんと指導しても雑用使いにしても給料は全く変わりません。結局、教育熱心な上級医にあたらなければ、そういった指導は受けることなく “ただ研修しただけ” で終わってしまいます。ローテーションするが故に、教える側は「どうせローテーションでいなくなるので適当にお茶を濁そう」という考えになってしまうのです。
今の初期研修でのローテーション研修は “自分自身で意識しない限り” ただただローテーションして終わってしまうパターンが多いように感じます。経験したことがあるという強みはあるかもしれませんが、それ以上は得られていない人がほとんどでしょう。
ローテーション研修を意味あるものにするために
ローテーション教育の是非はともかくとして、少なくとも初期研修で必須なのは動きようのないことです。決定している以上やるしかありません。
記事のタイトルに『ローテーション研修 -意味はあるのか-』などと書いて大風呂敷を広げてしまったのですが、僕自身、残念ながら結論には至っていません。
この命題に関しては2年間ずっと悩んできました。悩みつつ「成長するためにはどうするか」を考えながら試行錯誤することそれ自体が結局大事なんじゃないかと思います。
とはいえ、あまりに抽象的すぎるので2点あげたいと思います。
1つ目は志望科の最終確認です。よく言われることですが、学生時代に興味があった科と、実際に仕事としてその科が合うかはまれに食い違うことがあります。自分は将来その科で問題ないかを実際に働いてみて確かめてみます(ちなみに僕は志望科が変わりました)。
2つ目はその科に適切にコンサルトできるようになることと、その科のcommon diseasesと緊急疾患を体験することでしょう。
長くなったので僕自身が初期研修中にやったことは別記事にでも書こうかと思います。